取 り 組 み

芋野郷赤米保存会では芋野に歴史を持つ赤米(古代米)の生産・商品化・地域やこどもたちへの伝承活動を行なっています。

また、古代米の生産が地域の方のなりわいとなるよう、地域に活力を与えられるよう、日々活動をしています。

場 所

卑弥呼が統治していた邪馬台国があったとも言われている丹後半島。海の京都と呼ばれ、海あり・山ありの美しい昔ながらの原風景が残る地域です。

その歴史深い半島の真ん中に位置する弥栄(やさか)町芋野郷では、税金として平城京へ赤米を献上していたことが分かっています

芋野郷がある弥栄町から車でおよそ15分、丹後町の海

芋 野 郷 赤 米 保 存 会 の 歴 史

郷土史家・芦田行雄さんによる弥栄町での赤米栽培再開の第一歩

昭和40年、平城京跡の発掘調査中に「弥栄(やさか)町芋野から税金として平城京へ赤米を献上していた」という事実が描かれた木簡が奈良平城京跡で発見されました。現在弥栄町で栽培する古代米を「古与曾(こよそ)米」と名付けているのは平城京で発見された木簡の「丹後国竹野郡芋野郷婇部古与曾赤舂米五斗」という文章より。竹野郡(現弥栄町)芋野の古与曾という役人が平城京へ献米したことが書かれています。弥栄町芋野郷ではその事実を受け、献米記念碑を設立。碑の裏には「祖先の苦労を思い、碑を建て子孫に伝える」と刻まれました。

そして郷土史家でもある故 芦田行雄さんが昭和50年頃から大変尽力し、再び赤米(古代米)を弥栄町で栽培する運びとなりました。その後、芦田行雄さんの働きにより、弥栄町で栽培した赤米が宮津市の籠神社をはじめ伊勢神宮、さらには東大寺などにも奉納されることとなりました。

芦田行雄さんが赤米・古代米界にもたらした功績は大きく、日本古代稲研究会の初代会長も務められましたが87歳で永眠されています。

写真左上 故芦田行雄さん

平成24年、また新しい一歩

芦田行雄さんの熱い想いを引き継いだのは同じく弥栄町の芋野に住む藤村政良氏。地元の方達と「芋野郷赤米保存会」を立ち上げ、田植えイベントや小学校での講義、生産など、今日に至るまで精力的に活動しています。

芦田行雄さん(写真左)と藤村政良氏(写真右)